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ここでは、出産してから退院までのことを。自分の傷の手当てと、娘の育児が混ざっているけど、時系列に書くことにしました:

出産翌日
朝に、ナースからもう食事を摂っていいよと言われる。食事は(メニューが置いてあって、)食堂に注文の電話をすると、部屋まで運んできてくれる。逆に電話を忘れるとご飯食べそこなうシステム。ともあれ、電話すると、今朝は流動食しかだめです、とのこと。入院した日の夕食を家で食べて以来なので、スープとヨーグルトだけでは腹ペコなような、急に食べなくてよかったような(↓)。


この日も、小児科の先生が娘のチェックアップに来たり、血圧と体温を測るスタッフ、そして(娘が右側のおっぱいしか飲もうとしなくなったので)授乳の指導の方がスプーンにおっぱいを出してあげる方法やら何やらいろいろと試しつつ教えてくれました。そして、私の導尿管が外されて、トイレに行く際はスタッフを呼ぶことになった。というのは、点滴のモニターを外すのと、尿に血液が混ざらなくなるまで尿をチェックするのとがあるそうで、毎回したあとを見られる(笑)。午後には、主治医が傷の様子を診察に来た。そのうち、点滴を外され、足のむくみ対策も外されて、体の自由が少し効くようになった。それに伴い、痛みどめが点滴から錠剤に変わった。6時間ごとに今の痛み具合を10段階のどれに当たるか答え、それに応じた強さの錠剤が処方されていたよう。そのおかげで、入院中はそれほど強い痛みを感じずに済んだ気がする。

アメリカの出生届を提出した。あとは、どこかのタイミングで娘の聴力検査と、手足の酸素濃度の検査もやった気がする。前者は帝王切開の場合は、耳に羊水が残っていることが多いとかで、娘もどちらも異常なしでした。

夜になると、娘が寝なくなる。しかし、おっぱいを飲みはじめるとうとうと寝ながら飲みになる(退院後の今でもそう)。そして、台に寝かせて5分もするとまたぐずりだし、手を舐めてお腹空いたよ~とアピール・・・の繰り返し。おそらく私のおっぱいもそれほど出ていなかっただろうし、あげ方が下手くそでうまく飲めなかったのかもしれない。ひとまず泣く娘を抱っこしてあやしながら過ごす。この日はほぼ眠れずに夜が明けることに。明け方になると、朦朧として少しうたたねをしたような気もするけれど、記憶が定かではない。

産後二日目
この日、授乳指導のスタッフのおかげで、両方のおっぱいから普通に飲んでくれるようになる。それでも飲みながら寝はなおらないものみたいで、1時間に一度のペースで授乳が続く。担当のナースは、1-2時間に一度は部屋に様子見に来るんだけど、そのたびに授乳している私をみて、それでは体力がもたないとおっぱいのマッサージをしてくれたり、搾乳機を持ってきて、それを足して、少しでも娘に満足感を与えて寝る時間を長くさせる助けをしてくれた。そのおかげで、授乳間隔が少し伸びて、娘も私も、その度に起きちゃっていた夫も仮眠をとれるようになった。夜中には、娘の採血(テキサスの法律で遺伝子がどうのこうのと言っていた)と、A型肝炎(Hepatitis A)の予防接種があった。

産後三日目
2-3時間まとまって寝ることができて、顔色がよくなったようで、担当ナースは朝にいえ~い!と喜んでくれた(^^)。早朝には小児科医がやってきて、娘が退院してよいかチェックアップをしてOKが出た。朝食後には、主治医が来て、帝王切開痕からホッチキスを外し、私のチェックアップ。こちらもOK。ということで、昼過ぎに退院。娘からGPSを外して、カーシートに乗せて、ちゃんと装着されてるか確認された。このとき、娘をおくるみに包んで乗せてしまい、これじゃ、シートベルトから手が出せないじゃない~!とナースに叱られる(笑)。もっともです!その後、私は車イスに乗って、カーシートを抱えて、退院。家に帰ってからは、処方箋の書き間違いやら、薬局スタッフの対応の悪さに夫が奔走してまた大変だった。

家に帰り(退院後1退院後2)、夫の作った夕食を食べて、米うま~!と日本食のありがたみが身にしみました。処方された痛みどめは入院中飲んでいたものよりずっと軽めのもののようで、上り下り、娘の抱き上げ、授乳、くしゃみなど、日常の動作で傷に響くのが最初の数日はしんどかった。だけど、3泊入院できたおかげで、娘の世話の方はそれほどあわあわせずに済むようになっていたので、よかったかななんて思う。それもこれも、夫が主夫業をせっせとやってくれているおかげです。感謝感謝☆ 

これで、出産の記録はおしまいにします。